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今までの高校野球の現場
2005-03-30
甲子園・S高を観て
昨日のS高戦はTV観戦しました。久しぶりに観るS高でしたが、
どこかY監督を含め固く見えてしまいました。
専門家のOさん(K高監督)のご感想をお聞かせ下さい。
こんばんは。S高、大変残念でした。
安部さんのご指摘どおりいつものS高(石川)らしくなかったですね。ゲームはビデオで観戦いたしましたが、私の感想は中日新聞で高木守道氏が述べられていた通りです。
打たれてはいけない相手四番打者に先制タイムリー、しかも長
打、相手得意の得点パターンでとられてしまったのはまずかったですよね。
その前にワイルドピッチがあるなどS高らしからぬバッテリーミスが投手を精神的に追い詰めました。いつものS高なら相手になぜ負けたのか分からないといわしめるくらい相手の得意パターンを封じるのですが、今回は自らがこけてしまっていました。
最終回の連打は見るべきものがありましたが、四番打者の中途半端さがいただけなかったです。
選手の顔つきを見ていましても、昔のようなギラギラとしたものがなかったです。何か坊ちゃん坊ちゃんしてました。
監督は思ったほどシナビてなかったのですが、勝負師ではなく教育者の表情でしたね。ある種人間として崇高な「品(ひん)」を手に入れた変わりに勝負に必要な「All or nothing」の魂を失った感がありました。負けたことよりもそちらの方に寂しさを覚えました。
S高とは別に私が今回注目しているのはK高(神奈川)です。選手一人一人の表情を見ていましても「自主・自律」が確立いるのがうかがえます。
ベスト8入りを決めましたが、ここからの舞台をどんな表情でプレーしていくのかを見たいと思っています。
K館高等学校 野球部 監督 H.O
*O監督は元S高のコーチです。
O監督からのメールです。
日記と日誌の違い・・・なるほどでした。
2005-02-14
K高の日誌
三重県伊勢市
おはようございます。すっかりご無沙汰いたしております。K高のOです。
入試も無事終了し、シーズンインまであとわずかです。しかしシーズンインに合わせて焦ることなく、じっくりと「心」の部分を仕上げている最中です。
さて今日も選手の野球日誌を披露させていただきます。日誌とは「日記」のように「日を記す」ものではなく「日々の志を言う」ものです。
「志」とは辞書的な意味で申し上げますと「@心に決めてめざしていること。また、何になろう、何をしようと心に決めること。A人に対する厚意。人を思う気持ち。B好意、謝意などの気持ちを表す贈り物。」などがありますが、やはりこれら@、A、B全てのことが含まれてこそ日誌と言えると私は考えています。
我々指導者が彼らの日誌にコメントを書くときも同じです。以下はそんなやりとりの一コマです。
(指導者のコメント)
自分自身を向上させていこうと思うならば、やはり常に幾つかの疑問を抱えていることが望ましい。「なぜ?」という疑問を解決するために深く考え、広く物事を見ていくことを続けていれば、自然と思考力も高まるし、考え方の幅も広くなるだろう。
以前話したイチローの「あらゆる困難に対応するために、たくさんの無駄なことを考えていきたい。」との言葉がこれにあたる。一つの疑問に対する答えは決して一つではないが、今の自分にとってペストの答えを探求することはできるし、その答えにたどり着く様々なことが、実は出た答えよりも自分を磨いてくれる。
シーズンオフという今こそ思考力を高めるチャンス。たくさん「なぜ?」について試行錯誤して下さい。「知行合一」
(生徒の日誌)
「知行合一」は中国明の王が唱えた「知行合一説」というものからきています。その王の考え方では、知は必ず行を伴うものであり、知っているのに実行しないのは真の知ではないということです。
分かりやすく僕なり解釈してみると「知識とは必ず行動で示すものであり、知識があるのに行動で示さないのは本当の知識ではない」ということだと思います。そしてこの四字熟語の意味は「知識と行為が一致しなければならない」ということです。このことは確かにうなずけることができると思いました。
知識とは蓄積していく物ですが、その蓄積した知識を行動などで示さなければ、それは全く無駄なものへと変わってしまいます。こういうことを「宝の持ち腐れ」というのです。このことを自分に置き換えてみると今まさにその時期だと思います。
僕自身知識が少ないのですが、監督さんに頂いたコメントのように「なぜ?」のような考える行為をしていかねば知的進歩もありません。しかしそれを行動に移さなければ、行動的進歩はおろかこの知的進歩さえないといえるのです。
僕は野球日誌の表紙に「学びて思はざれば則ち罔し」と書いています。この言葉は「学ぶだけで考えなければ何も分からない」という意味ですが、この言葉も「知行合一」も同じ意味を持つ言葉といえます。
結局は「知識を持っておくだけ」「学びっぱなし」で終わってしまってはいけないということなのです。思考し、行動してこそ初めて知識が生かされ、そこでの経験がよりその知識の意味を深めてくれるのではないでしょうか。
これからも多くの方からお話いただける機会があると思いますが、そのお話を鵜呑みにするのではなく、自分のなかで消化吸収した上で行動に移していきたいと思います。
K學館.O
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